童顔社長の日々雑感

国内外のシェアリングエコノミー系サービス/感想/自社サービス関連の記事をつらつらと書き連ねていきます

僕が生を受けた意味

1985年11月20日、午後11時30分、切迫流産の危険性もあった中、約3000gの体重で産まれてきたのが僕です。

33年前の出来事になります。

昨日で33歳になりました。

 

産まれて、最初に見た人間は母ではなく祖母でした。

祖母の腕の中に抱かれた僕は元気よく産声を上げたそうです。

「腕はちゃんとしてるか、障害はないか」と心配していたそうですが、

無事に産まれてきました。

腕の中で抱かれていた赤ちゃんが、33年の時を経て、祖母の手を取り、歩く様になりました。

 

小さい頃の僕は祖父母が住んでいる市の広報誌の表紙になるくらい可愛かったらしいのですが(今では無愛想なおっさんですが笑)今では肥後もっこすの代名詞の様な変人に育ってしまい、「あの頃は可愛かったのにねぇ」と小言を言われております笑

 

昨日は祖母と昼食に出かけ、夕食には祖母が買ってきてくれたケーキを食べ、たった二人の晩餐ではありましたが非常に楽しく過ごすことができました。

 

祖母と暮らし始めて今年で20年になります。

祖父が癌を患い、半年の闘病生活を経て他界。

他界後の祖母は精神を病み、僕も父親という名の男との軋轢により自宅を出る決意をし、一緒に暮らし始めました。

それから20年、苦しい事も、辛い事も、嬉しい事も、楽しい事も、一緒に乗り越えてきました。

祖母がいてくれたから、僕は生きてこれた。

 

 

 

こんな記事を見つけました。

www.buzzfeed.com

 

僕とほぼ同じ境遇、数年前までは毎日の様に命を絶つことばかり考えていた僕は、

大輝さんの気持ちが痛い程よく分かるし、残されたおばあさんの気持ちもよく分かる。

でもね、よく分かるけど、どんなに辛いことがあったとしても、大輝さんには生きていて欲しかったと僕は思うんですよね・・・。

命をどうしても絶たなければならない事情があったとしても、せめておばあさんが亡くなってからでも遅くはなかったでしょ?

そう思ってしまうんです。。。

こちらの記事に掲載されている写真を見ると、二人の愛情がもの凄く感じられるんです。

祖母と買い物、祖母との団欒、やはり自分と重ねて見てしまう。

あの当時、大輝さんと同じく自ら命を絶ってしまっていたら、祖母を大輝さんのお祖母様と同じ気持ちにさせてしまっていたのかもしれない・・・

 

やはり悔しいですね、大輝さんとお祖母様は最期まで一緒にいて欲しかった・・・

 

 

祖母はもう89歳ですし、寝たきりになる可能性もあるでしょう。

僕は「ばあちゃん、ばあちゃんを看取るのは俺だけんね」と話しています。

この先、どんな状況になろうと祖母は絶対に看取ります。

 

祖母は父を早くに亡くし、母妹をたった一人で養っていたらしく、そこへ助け舟として祖父が養子入りを決意し祖母たちはやっと食べていけたそうです。

祖母は慈悲深い人です。

与えて、与えて、人から裏切られても与え続ける人です。

そんな祖母を心の底から尊敬し、絶対に祖母を幸せにしなければいけないと思っています。

あと、何回、一緒に誕生日を祝うことができるでしょうか。

「おばあさんと暮らしているのか、偉いね」と言われるんですが、偉いことなんて何一つない、僕にとっては恩返しをしているだけです。

僕にとっては、たった一人の家族だから当然です。

今後、物理的な支援ができなくなるのは確実ですが、経済的には祖母が困ることがない様に、しっかり稼いでいきたいなと思っています。

 

WaLendを思いつき、社会的に評価されたのも全て祖母のおかげです。

僕が生きていられるのも全て祖母のおかげ。

WaLendが社会的に認められなければ、僕も命を絶っていたのかもしれない・・・。

 

 

斎藤一人さんは「あのね、人は産まれてくる前に、これをやって人のために役立ってきますと神様と約束をして産まれてくるの。神様との約束だから、人のお役に立つ人生を送って天寿を全うしたということになるんだよ」と仰っています。

 

首都圏にとってみれば最果ての様な地で起業した実績もない僕のサービスをたくさんの方々が認めてくれた。

本当に奇跡です。

この奇跡は僕が生を受けた理由であり、この事業を通して、たくさんの人々を幸せにする為に生まれてきたんだと感じています。

33歳まで生きてこれた奇跡、ご縁に感謝し、お役目が終わるまで、この与えられた命が燃え尽きるまで頑張っていきます。

33歳の上田剛士も、どうぞよろしくお願い致します!

ありがとうございました!